まちあるきの考古学 伊豆半島の先端にある 古くからの風待ちの港 開国の港町に残る 海鼠壁の街並み
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下田のまちあるき 下田は、古くから海上航路の風待ちの港でした。 |
![]() ![]() 左:平滑川沿いの通り(通称ペリー通り) 右:下田の代表的な海鼠壁家屋 |
地図で見る 100年前の下田 現在の地形図と約100年前(明治29年)の地形図を見比べてみます。 明治29年の地形図をみると、崖地に囲まれた下田湾に流れ出る稲生沢川の河口に、こじんまりとした下田の町が立地しているのが分ります。 伊豆急行終着駅の下田駅は、旧市街地の北端に開設されました。 市街地の前にある埋立地は、下田船渠(造船所)のあった武ガ浜ですが、明治19年には既に堤防が見られます。 安政地震による津波被害の復興事業として築造されたものです。 白浜海岸の付近に建物が点在しているのが見てとれます。 高度成長期に立地したリゾートホテルや保養所、別荘などです。 |
下田の歴史 秀吉による北条攻めの後、下田は、家康配下の戸田忠次によって治められます。 |
下田の立地条件と町の構造 熱海から列車を乗り継ぎ、幾つもの湯治場を通り、幾つものトンネルと切り通しを抜け、断崖の海岸線を走ること1時間半。特急踊り子号は終点の下田駅に着きます 全線が単線のため、特急といえども駅での待ち合わせが多く、思ったより時間がかかります。 踊り子号は10両編成。 車両の長さは訪れる人の多さを物語ります。 秀吉時代の下田城は下田湾右岸の小山にありました。 江戸初期に遠見番所が置かれた須崎は下田湾東岸の小山、船改番所が置かれた大浦は下田の南の入り江に位置しています。 そして、下田の町は、下田湾に流れ出る稲生沢川の河口にあります。
下田湾は、岩肌がむき出しの険しい山々に囲まれた、穏やかで小さな入江でした。 寝姿山の山頂からは、眼下の下田湾とともに、遠くには伊豆七島の島影を望むことができます。下田が天然の良港であることが良く分かります。 町の基軸は稲生沢川で、その河口付近に下田は町割りされています 急峻な山々の間を縫うように流れてきた稲生沢川は、河口付近で小さな平野をつくり、そこにびっしりと家屋が建ち並び市街地を形成しています。
下田の町割りはとてもシンプルにできています。 下田の旧市街は、稲生沢川に沿うように配置されています。 稲生沢川に合流する、敷根川を北端にして、平滑川を南端にして、この間に、南北6つの通りが碁盤目状に町割りされ、西には八幡山麓の寺町が配されています 伊豆急の下田駅は敷根川の北岸に設けられ、寝姿山の展望台へは駅前からロープウェイで登ります。 下田漁港と下田船渠(造船所)のあった武ガ浜は、稲生沢川左岸にあります。 7隻の艦隊を率いて下田に入港したペリーは、稲生沢川の河口から上陸して、了仙寺で下田条約の交渉を行いました。了仙寺までの道のり、大砲4門をひく砲兵隊を先頭に、軍楽隊、士官など総勢三百人を超える大行列が平滑川沿いを行進したといいます。 そのため、上陸地から了仙寺までの平滑川沿いの通りは、「ペリー通り」と名付けられています。 八幡山の西麓に広がる寺町の中心は下田八幡神社です。 八幡社を中心にして、北から泰平寺、本覚寺、大安寺、宝福寺、海善寺、稲田寺と6寺院が規則正しく南北に並んでいます。
下田は海鼠壁の街並みを有名ですが、実際には海鼠壁の家屋は数棟が現存しているに過ぎず、町中に点在しているため、街並みとしては見ることが出来ません。 しかし、駅前の案内所で観光マップが用意されているので、容易に見つけることができます。 その中でも鈴木家「雑忠」屋敷の海鼠壁は圧倒的な迫力があります。 和歌山から移住した雑賀衆を先祖に持つ鈴木家は、代々忠吉を世襲したため、屋号を「雑忠」といいました。江戸時代から廻船問屋として栄え、奉行所の取次ぎをする船改めの世話役にもなっていました。 寄棟の主屋と奥の土蔵が、一面海鼠壁になっていて、白漆喰とのコントラストがみごとで、とても綺麗に保存されています。
海鼠壁は腰壁に使われることが一般的です。 重い瓦を漆喰で貼り付けているため、施工やメンテナンスのしやすい腰壁に使用されるのだと思いますが、下田では外壁一面に使用される家屋が多く見られます。 土蔵の外壁にしたり、母屋の壁一面に貼ったり、他の地域では見られない、ダイナミックで奇抜な使い方をしているため、家屋の数は少ないのですが、一つ一つがとても目立っています。
海鼠壁の家屋は、改造されているものが多いのですが、どれも綺麗に保存されています。 なかには、海鼠壁の外壁の全ての開口部にサッシが入った家屋もあり、往時の姿に戻すことなく、海鼠壁が保存されていました。 また、海鼠壁の家屋の正面が洋風に改装されているものもありました。看板建築です。 市街地にあるサイディングの建物も海鼠壁のものがありそうです。 家屋毎の詳細な調査をすると、海鼠壁の家屋はもっと沢山見つかるかも知れません。
下田の中で、最も風情のある町並みを残すのが、通称「ペリー通り」と呼ばれる平滑川沿いです。 枝垂れ柳の川沿いに、海鼠壁の商家、伊豆石張にアーチの開口部をもった土蔵などが軒を連ね、とても趣のある景観を創りだしています。 かつての遊郭街だったようで、川沿いには、瀟洒なデザインの桟、銅板葺きの戸袋など、往時の雰囲気を伝えてくれる建物が残っています。
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まちあるき データ
まちあるき日 2011年1月 参考資料 @「下田歴史の散歩道絵図」 下田市観光協会リーフレット A「日本図志大系」 朝倉書房 使用地図 @1/50,000地形図 「下田町」「神子元島」明治29年修測 A国土地理院 地図閲覧サービス
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